※これは僕の空想上の自分である。エッセイ風の小説だ。
有隣堂書店にいる時、「コンビニ人間」という小説に目が留まった。この小説は芥川賞受賞作であり非常に有名であるし、名前だけでも聞いたことがあるという方も多いのではないだろか。
最近、僕の中で「―人間」というフレーズを良く見聞きすることがある。それこそラジオの中や好きな芸人のエッセイ本の中だったり。
そういうこともあってか、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を何かに誘われるように手に取り、その文庫本の薄さに少し驚きながらもレジに運んだ。
「まだコンビニ人間読んでないんだこの人」とすれ違う人々や店員に思われないかなとか、誰もそんなに注目しているはずはないのに感じたりする。
「そんなはずはない」と心の中では唱えていても、毎回どの本を買うにしてもブックカバーを頼んでしまうのはそういったことが関係しているのかもしれない。
そのたびに自分がいかに自意識過剰なのかということが手に取るようにわかる。
少し脇道に逸れてしまったが、僕は「コンビニ人間」のレビューをしに来たわけではないし、自分の感じたことをただ淡々と紹介する場でもない。
「ぼくは何人間なのか」
一言で表すとどういう人間だと言えるのだろうか。
ふと「コンビニ人間」を読み終えた時、僕はスタバで一人考えていた。
その周囲の声をできるだけ遮ろうと、ノイズキャンセリングイヤホンをこれでもかという程、耳にねじ込んだ。
それでも聞こえてくるので、まずは周りの人々と相対的に自分はどんな人間かを考えてみることにした。
カップル、受験生(?)、カップル、カップル、カップル、仕事仲間(?)、友達同士(?)、カップル、夫婦(?)
そうか、僕はスタバでは「ぼっち人間」らしい。
いや、「一匹狼人間」としたいところである。
「一人でいることは別に好きだからいい。そうしたくてそうしている。」
と、自分に言い聞かせる。
ちなみに、僕の隣の人は「ベーコンとほうれん草のキッシュ彼の口に運び運び人間」である。
何とも語呂がわるい。
もう夜の9時も回り、外に出ることにした。ドリップコーヒーのショート一杯でかれこれ4時間はいるので、そろそろタチの悪い迷惑客になりかねないとも思った。
横浜の街は、日曜日ということもあってかいつにも増して賑わっている。
どこかのブランドの大きな袋を両手にぶら下げた人々やこれから飲み屋を探そうとしている集団。
ひとたび自分を客観的に見てみようと横浜を鳥瞰したら、自分の存在なんて埋もれてしまうのではないか。
だから、自分は他人とは違う性質を持った「―人間」である事を望み、いったんは「―人間」であると自分を理解したつもりでも、「こういう人、他にもいるよな」と自分を定義することに恐怖を覚える。
そうだ、怖いのかもしれない。
名刺だって何を書けばいい?自己紹介は何を言えばいい?
ぼくは何人間?