※これは僕の空想上の自分である。エッセイ風の小説だ。
老婆はため息なのか深呼吸なのかわからないほどの息を吐き、口を開いた。
「当時、付き合っていた。」
僕は動揺してしまった。それでも平然を装わなければいけないと思い、唇を噛んで深く頷いた。足はずっと座っていたからなのか痺れて感覚があまりしない。老婆は続けた。
「横浜は戦後に復興が遅れた。戦災と連合軍の進駐。私らは当時そう言われたって何のことかよくわかっていなかった。でも色んな大人はそう言っていた。そうして、その意味がようやく分かるようになってきた時に彼女に会った。」
老婆は息継ぎをするように鼻と口で一杯に空気を入れ直した。
「何も不自由はないと私は思っていた。でも。」
老婆は口を噤んだ。ほんのりと充血し濁った白目とは裏腹に、綺麗に透き通った涙がそこに浮いている。
僕はそのまま黙り込んでいるしかなかった。
「でも、あれは梅雨が特にひどかった年。いつも通り仕事終えて帰ってきたら、彼女は首を吊って待っていた。彼女の寝室で。私は立ち上がることが出来なかった。その時、喉にせりあがるのを感じながら、漂う臭いや目も当てられないその姿がオートマティックに焼き付いてきた。」
老婆の声や手振りが本来よりも嫌にリアリティを演出する。まるで、最近起こった事のような。そんな話しぶりである。
「ごめんなさいねえ。こんな話。」
嫌悪の表情が出てしまっていたのかもしれない。
「いや、大丈夫です。」
全然大丈夫ではない。下半身は血が回らず感覚はないし、寒気は止まらないし。僕は先ほど出されたお茶をようやく啜った。
「そこにあるんだけど。手紙が」
老婆は仏壇に近づき、その右の方の隙間を手探りしている。そして、何やら新しめの白い封筒を取り出した。
「これ。」そう言って舐めるように封筒を見た後に僕に渡してきた。
真っ白な封筒の中に、四つ折りにされた茶色い紙が入っていた。あんまりがっつりと触りたいものでは無く、別に潔癖症というわけでもないのに指先でつまんで開こうとしてしまったが、老婆にそうは悟られたくなかったので我慢して少々大げさに触って見せた。
手紙にはこう書いてある。
『すいません。
あたしはもうたえられない。ひととちがうことをどうしてものみこめない。まわりの目がつめたい。友だちもおやも。いつまでもけっこんをしないで、同性とすんでいることを不気味がられている気がする。
ものごころついたときから、おかしいのはあたしではなくてこの社会なんだっていいきかせてきた。
ねえ、さっちゃんはどうおもう?おかしいのはあたしなの?まだあたしは言葉づかいとか、格好とかでガマンしなくちゃいけないの?
でもね、さっちゃんのおかげでここまでこれたよ。さっちゃんのとなりがあたしの居場所だった。
だけどこの前、さっちゃんがしごとなかまの男のひとと歩いてるの見た時、シットとかではなくて、すごくすごく楽しそうに。あたしも見たことないぐらい楽しそうにあるいてたの。
そのときにね、急に居場所が消えたかんじがして、あたしってどこにいるんだろうっておもったの。
ごめんなさい。
こんなこと書いたって、さっちゃんを苦しめてしまうだけになってしまうかもしれない。そうおもうのもただあたしだけがおもいあがっているだけなのかもしれない。
でもね、くりかえしだけど、さっちゃんのおかげでこれまで生きれたよ。
ありがとう。じゃあね。 美代子』